松本章子
Akiko Matsumotoただ言い出したらテコでも動かない頑固な性格だったとも思います。33歳で両親を亡くしたので、自分の記憶で話すしかありませんがね。6歳から日舞を習い舞台経験も数多く、この経験から物怖じしない自分になったのかも。高校の時若柳吉和章の名取免許を取得。歌舞伎好きなのは日舞を習ったからかも。父は手に職をつけさせお店を持たせようと専門学校に行かせたようです。
私は専門学校卒業し美容師の免許取得後結婚するまで稼業を手伝いました。言うならば結婚生活が私にとって社会人時代です。結婚2年でお好み焼き店開店。嫁、妻、母、経営者の4役をこなす。家庭が職場で、修羅場道場になりました。この経験イコール経営の神髄であるといっても過言でないと、私の経験上そう思います。家庭で役立ち喜んでもらうには、いつも人が優先自分の事は何時も後まわし。両者完璧にこなしたい。その強い思いが知恵と工夫が身に付つく。完璧主義を貫く。とことん突き進む。私流です。その根底は役に立って喜んでもらう。この思いは誰にも負けられません。
開業のきっかけ
お好み焼き店開業のきっかけは、父の知り合いが白浜でレジャーセンターをオープンしました。地元に明るい父が、テナント出店者や銀行等のお世話をしたお礼にテナントの一角を頂き、お好み焼き店が一番手っ取り早いと言う事で父が物怖じしない私を知ってか「お好み焼き店」やるかに、悩むことなくOKした事で開店。お好み焼きの経験は全く素人です。ああしたこうした過去は思いだせませんが、お好み焼きの味付けは誰に教わることなく、母の味ベースを舌でたどりながら試作を繰り返し完成に近づけました。がそれに満足することなく味の追求は今も怠らずです。
レジャーセンターは一元客、サービスも味もその場限りで幕引の商法に寂さを感じ、田辺市の路面店に移転。知名度はありませんでしたが一味違う、美味しさと評判になり繁盛しました。そんな中一人でも沢山の方に美味しい焼き立てのお好み焼きを食べて欲しいその思いが募り生カップお好み焼きが誕生させメーカとして会社を設立しました。
今後の目標
私は一人でも多くの人に「焼き立ての美味しいお好み焼き」を食べて欲しいとスタートしました。年間550万食のマーケットは作りましたが、まだまだ夢の途中です。満足な夢を達成する為には販売戦略を、量産可能な工場体制、社内教育と、尽きないですね。夢の実現って終着駅がないですね。限りありませんね。商品ブランドから企業ブランドに進化させる。今後「の目標課題です。
プロフィール
- 氏名
- 松本章子
- 生年月
- 1941年
- 出身地
- 和歌山県
- 趣味
- グルメ探索
Information
- 企業名
- 株式会社おはなはん
- 所在地
- 和歌山県和歌山市
- 業種
- 食品製造販売(生カップお好み焼き)
- 事業内容
- 家庭で簡単にプロ味が楽しめる、おはなはんお好み焼き製造販売のパイオニア企業。