不破央
Hisashi Fuwaショーは笑いを生む。驚きがあって、感動があって。でも、泣かせるようなことにはしない。それはネタを作るときには気をつけますね。僕らのショーはすでに15年目を迎えたんですよ。800カ所くらいを回って、公演数だと1500回以上。僕らのショーを観た後に、水泳教室に通うって子供達が言うそうなんですよ。「プールってこんなに楽しいんだよ」なんて一言も言ってないのに。そういったテーマも見せていない。
北島康介くん達のようにメダルをとって子供達に夢を与えるのと同じように、僕らのショーを見てプールは怖くないとか面白いんだって感じてもらって、水泳教室に入ったり真似してもらったり。そこから水泳との色んな出会いが子供達に広がってくれたらいいなって。そういう風に勝手に思っていますけどね。
思い出は、水泳と女の子(笑)
学生時代はリーゼントでした(笑)こう見えて。青春時代が80年代でしたから、デップ(ヘアジェル)を付けて。今で言うワックス。デップで頭を固めて、練習場に行くような。
水泳の思い出と言えば、オリンピックに出て、しかも世界記録で金メダル。今でいう北島康介くんとかマイケル・フェルプスとかああいうクラスのスーパースターのスイマーを夢見てましたね。それにともなう練習量もこなしていました。
一日に平均すると6時間から8時間の練習で、朝2時間、筋トレ3時間、水泳を午後にまた3時間と。寮生活でしたからまるで毎日が強化合宿でしたね。学校とプールと寮の往復ですよね。週に一度あるお休みに女の子と遊ぶと(笑)。いや青春時代はどうしてもね、なんのために水泳をあんなに頑張っていたかって、女の子にモテたかったからですね(笑)。
北島康介くんの前に林享くんという選手がいたんですね、彼が日本記録を出すんです。彼が出てきた時に、泳ぎ方が全然違ったんですよ。僕がその当時は日本チャンピオンだったんですけど、まったく異質の泳ぎをしていて、レース展開やペース配分がまったく想像できない。なんでこういうレースをしちゃうんだろうって注目をしていたんですけど、案の定すっと上がってきて、「あぁもう勝てない、勝てないんだったら辞めよう」って。それが92年のバルセロナ五輪を目指していた頃の話ですね。
デザインをしたり絵を描くのも好きでしたから、イラストとか美術系に行きたかったんですよ。大学も美術系に行きたかったけど、日本記録を持っていましたからね。そんな暇無いだろうと。デザインの勉強は結局出来ずじまい。
ところがある時に舞台を観に行ったんですけど、そこで舞台美術というのに出会ったんです。「あ、これだ」って。何もない空間が1日や2日で江戸時代になったり、ローマ時代になったりして世界が出来上がる。
でも、その世界にどうやって入ったらいいのか分からない。友達のコネやツテを辿って、舞台美術関係の人を紹介してもらったのですが、その人に凄く叱られました。「何を知っているんだ?シェークスピアは?映画は一年で何本観るんだ?」って。「水泳しかしてない。日本一になろうが、記録を出そうが、オリンピックに出ようが関係ない。職人の世界なんだ。そういうことを全く勉強していない君は何の話にもならない」と。それを6時間説教されてですよ、もう項垂れちゃいました。
その帰りの電車、山手線だったんですけど、青年海外協力隊のポスターを見たんですね。「カッコいい」って思いましたね。試験があるんですけど、それまで受験もしたことが無かったですし、英語の勉強をABCから始めました。24歳になって(笑)「Do」くらいで止まってましたからね。勉強も実って、見事合格。2年間中米のグアテマラで子供達に水泳指導をしました。
コーチも表現者じゃないといけない
水泳選手でしたからどうやれば速くなれるのか知っているじゃないですか。でもレベルは日本に比べたら全然低い。速くさせるのは簡単だって思っていたんですけど、子供達が嫌だって言うんですね。
辛いから翌日から来ない。どんどん生徒が減っていって、これは困ったなということで水泳指導をやめて子供達とプールで遊ぶことを始めたんですね。そしたらどんどん増えてきた。それで思い出すんですね。自分が子供の頃になぜ水泳教室に通っていたのかって。強くなろうとか速くなろうとか思ったのは随分後なんですよね。
野球やサッカーを水中でしたりシンクロごっこをしたり、まずは遊ぶっていうことをして水泳を教えるプログラムにしたんです。そしたら元々20人いたのが「練習だ!」ってやった時に2人にまで減ったのに、最後は120人にまで増えてました。2年間で色んなことにぶつかったんですけど、コーチも結局は生徒達の前になったら表現者じゃないといけないんですね。パフォーマーじゃないといけない。色々毎日工夫をしますよね。そうしたらこっちが面白くなったんです。
日本に帰ってきて、普通に就職をしようとも思ったんですけど、内定をもらった時に「これでいいのか?」って思って、結局は俳優を志すんです。色々、試行錯誤しているウチに出会ったのがピエロなんですね。ピエロの芸なんです。喋らない。喋らないけど、見ていると頭の中に台詞が浮かんできてこう、笑えるんですよね。なんて素晴らしいんだって思って、それでピエロの学校に行くことになりました。
楽しいものを作りたいのは、僕が楽しみたいから。僕が気持ち良くなりたい。メンバーとくだらないことでも真剣に話をして、そこで生み出たことがお客さんに伝わった時の気持ち良さ。「当たった、キター!」みたいな。間違いじゃなかったっていう。狙ってないところで感動してもらったりとか、時々あるんですよ。泣く場面なんて一カ所もないのに「号泣しました」っていうお客さんがいたり。そういう思いがけないリアクションがやっていて楽しいですよね。
プロフィール
- 氏名
- 不破央
- URL
- http://www.tritones.jp/